てっぺん畑に帰るときに必ず通っていた宮滝。
「宮滝は滝であらず、両方に大岩あり、屛風を立てるがごとし」
と言われているように、滝ではない。
川の水がたぎるように流れている「たぎつ瀬」である。
吉野川(紀の川)の上流にあり、大きな岩(巨岩)と奇妙の形の岩(奇岩)の間を流れている。
瀬と淵が入り混じり、まさしく「たぎつ瀬」が見られる雄大な場所である。
※今回は画像で紹介できないのが残念!
また、天武天皇と皇后の持統天皇のよく訪れた「吉野離宮」があった場所でもある。
橋の上から「たぎつ瀬」を見ることができる。
その橋を渡って左に折れると櫻木神社がある。
樹齢700~800年のご神木が迎えてくれる。
櫻木神社の下には、吉野山を水源とする大和の水31選である「象の小川(きさのおがわ)」が流れている。
上流には「高滝」もある。
<櫻木神社>
1.所在地 奈良県吉野郡吉野町喜佐谷
2.交通経路 近鉄吉野線大和上市駅下車
奈良交通バス 宮滝下車
※車→国道169号線 大和上市、吉野神宮間(吉野川)の陸橋を過ぎ10分ほど走ると宮滝に着く。
3.祭 神 天武天皇
4.伝 記
<壬申の乱>
壬申の乱の前のこと。天智天皇の弟が大海人王子(後の天武天皇)、天智天皇の子どもが大友王子。天智天皇の晩年、出家して当時の近江宮を離れ吉野山に身を隠す。
その姿を「虎に翼をつけて放てり」と予見した通り、天智天皇の亡き後、壬申の乱が没発、大友王子に攻められたが、大海人皇子が勝利する。
大海人皇子は明日香を都に定めて天武天皇に即位する。
大友皇子の攻められた際に桜の木に隠れて難を逃れたという伝説がある。
天武天皇は、しばしば行幸された吉野離宮を敬まわれ、この櫻木神社に祀られたと伝えられている。
<源義経>
平家討伐を成し遂げた義経、兄の頼朝から鎌倉に入られず吉野に逃れた場所が吉野山。
義経のかくれ堂、吉水神社、勝手神社等、義経ゆかりの神社が残っている。
義経にとって吉野山も安住の地でなくなり吉野山から逃れて立ち寄ったのが櫻木神社の周辺。
昔は逃避行に疲れた義経がついうたた寝をした場所として「うたた寝橋」が残っていたらしい。
5.追記
何度も言うが子どもの頃から常に通っていた宮滝。
今までは、ただの通過点だった宮滝。
国道から少しそれるだけで、こんな神社があったとは・・・。
もっと早く来ればよかったという後悔も!
これからはいつでも訪れることができる!
まず、神社の名前の通り、桜の季節に訪れることにする。
※駐車場には、きれいな造りの「雪隠」もあり、安心して立ち寄れる神社である。