「きりこはぶすである」というびっくりするような書き出しから始まるこの本。
「きりこがぶすである」証となる文章表現が、あまりにも衝撃的なので返ってあっさりと読める。
「きりこ」という当の本人は、一人っ子で両親から「可愛い 可愛い」と愛情いっぱいに育てられたため、自分が「ぶす」であるという自覚はない。それどころか幼稚園、小学校低学年時代はどちらかと言えばリーダー的で親分肌である。
きりことラムセス2世(黒猫)との出会いは、小学校の運動会用の用具を入れた体育倉庫。
給食で出た大好物の白玉だんごを弾みで口から落とし、その白玉団子を弔い埋めに行った時に運命的な出会いをする。
きりこはその小さな黒猫をランドセルに入れ、誰にも気づかれないように家に連れて帰る。
父も母も反対するのかと思いきやトイレの砂や猫タワーを早速買ってきて歓迎する。
我が家にクロ(黒猫)を公園から連れて帰ってきたときの私の反応とは真逆の対応!
そんな私が、今、クロと暮らしていう現実も青天の霹靂!
「ラムセス2世」と名付けた理由もきりこらしい。
「エジプトの王様の名前だ。クイズ番組で見た、ハンサムで機知に富んだその大様にすっかり魅せられたきりこが、迷うことなくつけたのだ」(p.10)
きりこは5年生の時に大好きな男の子から「ぶす」と言われショックを受ける。
「『人間より、猫の方がええ』数年たって、改めてこのことを痛感したきりこは、猫のように、夜行動して、昼間は眠っているようになった。当然、学校には行けなかったし、そのまま高校にも行かなかった。」(p.118)
そんなきりこにラムセス2世が寄り添う。
ある日、一人の登場人物の泣いている夢を見たことをきっかけに、きりこはラムセス2世に励まされ外に出る決心をする。
この本に中には、生まれた時から大人として自立するまでのきりこときりこに関係する登場人物の成長と変化もしっかりと書かれている。
きりこが物語の終盤に見つけた本当に大切なものとは何か?
西加奈子さんの本は、「通天閣」と「円卓」を読んだことがあった。
「きりこについて」を読んで、「円卓」の8歳主人公「こっこ」こと「琴子」を思い出す。
中華料理店から譲り受けた赤く大きな円卓を囲む8人家族。
「こっこ」は誰からも可愛がられているが、「こっこ」にも悩みがある。
悩みながら成長していく「こっこ」と「きりこ」が私の中で重なる。
ラムセス2世やその仲間の姿を通して、西加奈子さんの猫に対する記述が随所に出ている。
「猫は、人間にとっていつまでも、神秘の動物であらねばならない」(p.205)
「『猫ババする』というのもはなはだ失礼である。(中略)猫が糞を隠すのは、最低のエチケットであるし、清潔な者のなせる業なので、猫ババする、の意味を『整頓する』や『綺麗にする』といったものに変えてはいかがか」(p.208)
「人間たちは言葉遊びのつもりであろうが、遊びにされる我々は、いい迷惑である」(p.209)
その他・・・。
西加奈子さんの「猫観」がたまらない。