『硝子戸の中』は大正4年に書かれています。
夏目漱石が亡くなったのが大正5年なので、亡くなられた1年前に書かれた作品です。
小説ではなく、随筆です。
「私は去年の暮れから風邪をひいてほとんど表に出ずに、毎日この硝子戸の内ばかりに座っている。(中略)私はただ座ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。」(p.5)
「この硝子戸の中へ、時々人が入ってくる。」(p.5)
「私はそんなものを少し書き続けてみようと思う。」(p.6)
この頃の漱石は体調が良くなく寝込む日々も多くあったようです。
「硝子戸の中」と言う題名は、「硝子戸」の中で漱石がいて、外から訪ねてくる人とのやりとりの様子が綴られています。
また、漱石の家族、知人への思いも綴られています。
全39話で構成されていて、晩年の漱石の人となりが伝わってきます。
繊細で神経質な気質が漱石を長年胃痛を患う原因になったのかも知れません。
『硝子戸の中』で猫について書かれているのは28話だけです。
ある人が私の家の猫を見て、「これは何代目ですか」と尋ねられた時のことを綴っています。
その中で、「初代は宿なしであったにも拘らず、ある意味からして、大分有名になったが・・・。」(p.85)と書いています。
この猫こそが、「『吾輩は猫である』のモデルになったことを指す」(p.138)と注解に出ていました。
本の中では、三代目の黒猫が登場しています。
「私はこの黒猫を可愛がっても憎がってもいない。猫の方でも(中略)別に私の傍へ寄り付こうという好意を現したことがない」(p.85)という関係。
そんな時、三代目がごま油が入った鍋の中に落ちてしまい、皮膚病に罹ってしまう。
漱石自身の体調も思わしくなく、寝込んでしまうことが多くなる。
自分の病気と三代目の病気を比較し、何かの因縁を感じる漱石。
しかし、三代目の方は「唯にゃにゃと鳴くばかりだからどんな心持でいるのか私にはまるでわからない」(p.87)と話を閉めている。
最後に漱石は猫が好きだったのか?
注解の中で、「私は実は好きじゃないのです。世間では、よほど猫好きのように思っている。犬の方がずっと好きです。」(pp.137-138)という漱石の言葉が紹介されている。
この本の3話、4話、5話で「ペストー」名付けた犬の話が書かれているので必見です。
『硝子戸の中』の解説を書かれた石原千秋さんは、「『硝子戸の中』のテーマは、1つは『死』である」(p.147)
また、「『時』に抗するには何よりもまず『記憶』を呼び戻すことだ。(中略)『記憶』を辿ることで逆に、自分の生が自分だけのものではないことに気づかされているのだ。」(p.150)
と書かれている。
「硝子戸の中」は、たまたまジュンク堂書店でページをめくっている時、猫が登場しているページを見つけ買った本です。
読み終えた時、晩年の漱石の「見方・考え方」に触れることができたように思いました。
何回も読み重ねていくうちに、もっと多くのことが分かり、そして学ぶことができると感じました。
傍に置いておきたい一冊です。