彼岸花(曼殊沙華)とクロ

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朝の公園散歩。

秋の気配がただよう公園の土手で、彼岸花を見つけました。

元々、クロは我が家で一緒に暮らす前は、この公園の「野良さん」だったので、公園の四季はよく知っているはず?

きっと、今までにも、彼岸花に気付き、匂いをかいだり、触ったりしたこともあったのでは・・・。

お彼岸も過ぎ、枯れてしまう前に運よく見つけた彼岸花。

「今年も彼岸花を見ることができてよかったね。」と声をかけました。

彼岸花(曼殊沙華)の光景が、今でも鮮明に残っている本があります。

今は亡き灰谷健次郎さんの代表作『太陽の子』(角川文庫)です。

「丘の上までお父さんを押してきて、そこで手をはなすと、あたりは一面の曼殊沙華なのである。ふうちゃんはいっしゅん息をのんで、何かこわいものにでも出会った目つきをした。」(p.7)

「ま、きれい!・・・とおかあさんはいったが、ふうちゃんはしばらく声が出なかった。」

で始まる冒頭部分。

「『曼殊沙華がすごく咲いていたんやで。赤い海みたいやったんやで』(中略)一面の曼殊沙華の中をふうちゃんの白いセーターが駆けていくシーンを、きよし少年は想像した。」(p.418)

と綴る結末部分。

冒頭にも結末にも曼殊沙華が出てきます。

小学生の「ふうちゃん」、「お父さん」、「お母さん」、「キヨシ少年」、そして、他の登場人物。

「いい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや、(中略)他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろか」(p.322)

「かなしいことがあったら

ひとをうらまないこと

かなしいことがあったら

しばらくひとりぼっちになること

かなしいことがあったら

ひっそりかんがえること」(pp.393-394)

このことの意味をずっと考え、脳裏に残り、彼岸花を見る度に思い出している自分にクロが気づかせてくれました。

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