前回、年頭にあたりオンライン参拝と題して丹生川上神社三社を紹介。
私にとって身近な、そして、地元である丹生川上神社上社の紹介で龍(モニュメント)のことを紹介しました。
今回、その記事をもう少し詳しく紹介したくなり、その続編として記事にしました。
オンライン参拝で紹介した丹生川上神社上社、中社、下社に行かれた方なら、ひょっとして気づいているかも?
中社、下社には神社の傍を寄り添うように川が流れていますが、上社だけ川の傍ではなく国道(169号線)から林道を上がった高台にあるんです!
ダムの建設があり、そのために現在の場所に移転しているんです。
上社は水と雨を掌る「天空の社」なのに川の傍ではないのか・・・?
実は、私が子どもの頃、丹生川上神社上社も吉野川が下に流れていたんです。
ではなぜ?
ダム建設の必要性として二つが言われていました。
①昭和34年に大きな災害をもたらした伊勢湾台風がきっかけとなった吉野川(紀の川)の治水。
②もう1つ上にある大迫ダムとともに奈良や和歌山への利水。
しかし、この大滝ダムの建設は賛成と反対に意見が分かれました。
当時、川上村に住んでいた私にとって、自分の家がダムに水没するという辛さ、無念さは痛いほどわかりました。
大滝ダムが完成した後も地割れ現象が見られた集落(白屋地区)が集落ごと移転するという事態も起こりました。
平成15年3月末、大滝ダムの建設工事がほぼ完了しました。
丹生川上神社上社は平成10年に現在の場所に移転しています。
「おおたき龍神湖」
完成した大滝ダムの名称は公募により決められたそうです。
「大滝」という名称と源流である吉野川への畏敬の念を込めた龍神を組み合わせた「おおたき龍神湖」に決まったそうです。
「龍のモニュメント」
龍のモニュメントは、なぜ、現在の場所に置かれたのか?
現在、龍のモニュメントが置かれている場所は移転した迫地区にある「森と水の源流館」の下にあります。
実はその位置は、ダム工事が始まる前、旧169号線迫地区の丹生川上神社上社があった辺りだそうです。
龍のモニュメントは、ただ単に現川上村の中心部に置かれたのではなく、龍神の総本宮としての旧上社、そして、生まれ育った故郷への思いが込められた場所に設置されたことがわかりました。
<追記>
実は旧丹生川上神社には、私も思い出があります。
亡くなった父が宮司さんと親しく、秋に宮司さんが集めておいてくれていた落ち葉を父とともに貰いに行き、畑の腐葉土として使わせてもらっていたんです。
その畑が、亡き父母から受け継いだ「てっぺんファームの畑」です。