書名が『吾輩も猫である』
著者名が赤川次郎他
『吾輩は猫である』と『吾輩も猫である』
「は」と「も」だけが違う
出版社は新潮社で同なので、夏目漱石の『吾輩は猫である』をもじっているのかと思い手に取った
夏目漱石の『吾輩は猫である』はこのブログで猫本紹介をした最初の本だ
『吾輩も猫である』は8人の作家の作品が載せられている
<8人の作家と作品>
赤川次郎 『いつか、猫になった日』
村山由佳 『猫の神様』
どれも、夏目漱石の『吾輩は猫である』と同様、猫目線で書かれている。
最初の文を紹介する
◆赤川次郎 『いつか、猫になった日』
「どうやら、わたしは『猫』と呼ばれるものであるらしい」(p.9)
で始まる
私は誰なのか
◆新井素子 『妾は、猫で御座います』
「妾は、猫で御座います」(p.37)
題名と同じ言葉から始まる
「妾」は「わたくし」と読むらしい
◆石田衣良 『ココアとスミレ』
「『私たち猫族と違って・・・』、階段のうえのほうから先住猫・ココアの声がした」(p.75)
「『人間たちって、ほんとうにふしぎね』、屋上にあがる日当たりのいい階段のステップ三段下で、ココアより一歳年下の後輩猫・スミレが念話でこたえる」(p.75)
◆萩原 浩 『吾輩は猫であるけれど』
4コマ漫画
15話が紹介されている
第1話の1コマ目
「吾輩は猫である」「鼠はきらい」
2コマ目
「小鳥もダメ」「虫も苦手」
3三コマ目
「でもゴキブリは好き」「コリコリした食感最高!」
4コマ目
「ただいま~ん、うんっ」
「なんか、すまん」
◆恩田 陸 『惻隠』
「ワタクシは猫であります。ええ、確かに。はい、この肉球にかけて」(p.109)
「なーんて、ちょっと人間の真似してみた。けど、やっぱりムダよね。こういうの、あのあたしら似合わないわ。だって意味ある?」(p.109)
◆原田マハ 『飛梅』
「俺は猫だ。名前だって、ちゃんとある。実家の主がつけてくれた、れっきとした名前が。だけど、ここでは「若」とか「若君」と呼ばれている」(p.127)
「親父さんと、兄者と、姉者、そして俺が暮らしているのは、「猫本屋」とかいう俺らの種族のことばっかり書いた本だけを扱っている本屋の家だ」(pp.127-128)
◆村山由佳 『猫の神様』
「私は、猫として生まれた」(p.153)
「同じようにしてひとあし先の生まれ落ちた姉たちと、あたしはまず、母さんのおっぱいを奪い合った。まだ目なんか開かない。誰かの前肢があたしを押しのけようとするから、あたしも別の誰かの頭を踏んづけながら乳首にむしゃぶりついた。この世で生きていく上での最初の戦いだ。引き下がるわけにはいかない」(p.153)
◆山内マリコ『彼女との、最後の一年』
「あたしは猫。サビ猫。名前なんてないわ、だってノラだもん。いつどこで生まれたのかも知らないな。気がついたら親きょうだいともはぐれて、暗くてじめじめしたところにたどり着いてたの」(p.85)
書き出しを書いてみて、はじめて気がついた
「吾輩は猫である。名前はまだない」という「吾輩は猫である」の書き出しと似ている
書き出しは似ているが、どの作品も『吾輩は猫である』と同様、それぞれの作家の個性がにじみ出ている感じがした
また、どの作品にも「猫目線」が紹介されていて、改めて「猫観」が深まった